ジャポニスム学会の毎年の活動は、年1回の総会(講演会併設)、年数回の例会と見学会、年1回の会報を中心としています。以下に2005年のニュースと活動記録を掲載します。なお数年に一度、シンポジウムや連続講演会の開催、書籍の出版など特別の催しを行っております。


 

■ジャポニスム学会25周年を記念して、日本女子大学と提携して国際シンポジウム「林忠正-ジャポニスムと文化交流への貢献」を11月11日から13日にかけて開催し、成功裡に閉幕しました。
ジャポニスム学会25周年記念国際シンポジウム「林忠正-ジャポニスムと文化交流への貢献」は、日本女子大学新泉山館大会議室において11月11日(金)から13日(日)にかけて、海外からの研究者も招いて日英同時通訳で行われ、日本発の国際美術商、林忠正をめぐり国内外のパネリストによる発表やディスカッションが繰り広げられ、多くの新資料公開や活発な意見交換が行われました。 

11月19日の日本経済新聞は、文化欄を大きくさいて、このシンポジウムを会場写真付で報じました。以下にその全文をご紹介します。

「和洋文化交流の好例/研究領域に幅・双方向に作用--解釈広がるジャポニスム」
印象派や後期印象派に対する浮世絵の影響として広く知られる「ジャポニスム」の研究領域が大きく広がってきた。対象とするジャンルや時代、地域が従来より広く解釈され、「ジャポニスムの定義そのものが変わろうとしている」という声さえ聞かれる。
数多く小説出版・・・今年2月に出版された羽田美也子『ジャポニズム小説の世界』。ここでいうジャポニズム小説とは、日本を舞台に日本人が登場する外国人筆者による小説のこと。同書では19、20世紀の米国で出版された作品を探し出し概説している。J・L・ロングの『蝶々夫人』などごくわずかしか知られていなかったこの種の小説が数多く出版され、多くの読者を獲得していた事実は驚きだ。「ジャポニスム」はもともとフランスの美術収集家P・ビュルティが1872年に使い出した言葉。19世紀後半のフランスがその中心と考えられ、浮世絵がモネやゴッホらに与えた影響がよく知られているように、絵画を中心とした研究が主流だった。
ところが馬渕明子日本女子大教授によると近年の研究は、ジャンル面では建築やファッション、文学、音楽へ、時代は19世紀から20世紀へ、地域もフランスから欧米全体へと広がっている。米国人建築家フランク・ロイド・ライトが日本建築に学び、フランスの作家ドビュッシーが北斎の作品に「驚くべき遠近法」を見出したといった例がそれに当たる。
林の業績に脚光・・・羽田氏が米国文学に研究を推し進めたとすれば、C・デランク『ドイツにおける〈日本=像〉』は、20世紀のドイツへと研究を押し広げた著作だ。「サムライと芸者」といったステレオタイプの日本イメージ、絵画や写真、建築における日本受容を論じている。そうした動きが両大戦間まで至っているとの見方は、ジャポニスムが20世紀初頭には衰えたとする考えに再考を迫る内容だ。
今月11日から13日まで日本女子大学(東京都文京区)で開かれたシンポジウム「林忠正-ジャポニスムと文化交流への貢献」はジャポニスムの成立に重要な役割を果たした美術商、林忠正(1853?1906年)がテーマ。林には浮世絵の名品を大量に海外流出させた人物といった負の評価もあったが、シンポジウムは林の優れた業績を印象づける内容で、そのこと自体がジャポニスム研究の懐を深めている。
フランス以外の西欧諸国から参加したパネリストは、尾形乾山のやきものや刀のつばといった工芸品が西洋における装飾美術の再評価を促した実例を数多く紹介、浮世絵の影響中心に語られがちな従来のジャポニスム・イメージから踏み出した発表が多かった。
こうした研究の進展について、宮崎克己ブリヂストン美術館副館長は「これまでは物の移動とか作品間の影響関係とかが主に注目されてきたが、最近は情報がどう行き交ったかに関心が移行している」と分析する。
「逆輸入」の実態・・・林が浮世絵や工芸品を西洋にもたらす一報で、西洋初の本格的な北斎伝を書いたエドモン・ド・ゴンクールに知識面での助力を惜しまず、明治期に確立された「美術」「工芸」などの概念の形成に深く関与したという研究成果が発表された。こうした理解は、情報や知識面での交流を探るジャポニスム研究の比重が増していることを示す。
手塚恵美子日本女子大助手の発表は、明治の画家、浅井忠が日本美術の影響を受けたアールヌーボーのデザインを取り入れるなど、ジャポニスムの逆輸入の実態を探る内容。ジャポニスムをめぐる動きが日本から西欧への一方的な影響ではないという視点は重要だ。
「ジャポニスムは20世紀に入ると、趣味やスタイルの受容を超え、インターナショナルなものに溶け込んだ」とは、瀬木慎一総合美術研究所所長の見解だが、研究はそうした目に見えにくい領域に入り込んでいる。
高階秀爾大原美術館館長はこう語る。「現代のグローバリゼーションには文化を壊す面があるが、ジャポニスムは文化の多様性を認め合うことで成立した。ジャポニスムは国際的な文化交流の好例とも言える」
ジャポニスム研究は射程を大きく広げ、影響関係といった固定的な視点を脱することによって、海外との付き合いを避けては通れない現代、いかに文化交流を行うかを考察するためのモデルにもなりうる。(編集委員 宝玉正彦)。

※ジャポニスム:日本美術の美意識や造形原理を取り入れた西洋美術の思潮を意味する用語で、19世紀後半のフランスで使われ出した。とくに印象派への影響が有名。似た意味の「ジャポネズリー」は「日本趣味」というほどの意味。

■第26回(2005年度)ジャポニスム学会賞決定
ジャポニスム学会(会長・高階秀爾、理事長・馬渕明子)は、第26回(2005年度)ジャポニスム学会賞を次の2業績に対しておくることを決定いたしました。

クラウディア・デランク氏
対象業績:『ドイツにおける<日本=像>―ユーゲントシュティールからバウハウスまで』、 思文閣出版、2004年

羽田美也子氏
対象業績:『ジャポニズム小説の世界―アメリカ編』、彩流社、2005年

■2005年度ジャポニスム学会第3回例会
第3回例会として研究発表会を7月23日、早稲田大学にて開催しました。
発表1:寺本敬子(一橋大学大学院) 「1867年・1878年パリ万国博覧会の日本出品に対するフランスの反応」
内容:万国博覧会における日本の参加は、ヨーロッパ社会に日本文物を広め、ジャポニスムの成立を促した。最初に日本(幕府等)が参加した1867年パリ万博は、それまで一部の愛好家にのみ知られていた日本の文物を広い範囲の人々が知る契機となり、ジャポニスムの端緒となった。そして次の1878年パリ万博では、明治政府による大規模な出品が行われ、ジャポニスムの拡大をもたらした。本発表は、ジャポニスムの発展に貢献した両パリ万博を取り上げて、日本出品に対するフランスの反応及びその変化を探った。フランス人の反応を分析する際は、フランスの新聞記事・図版を中心に、フランス政府の報告書、批評家の論評、また日本政府の報告書等を取り上げた。

発表2:奥田勝彦(武蔵大学大学院) 「フェリックス・ブラックモンと陶磁器のジャポニスム」
内容:銅版画家フェリックス・ブラックモンは、19世紀のエッチング復興運動において先導的な役割を果たし、しばしばフランスでの『北斎漫画』の発見者ともされている人物である。1866年、ブラックモンが『北斎漫画』や広重の『魚づくし』を拠り所にデザインしたファイアンス陶器のセット、「セルヴィス・ルソー」によって、陶磁器のジャポニスムが幕を開けた。今回の発表では、ブラックモンが芸術監督を務めたアヴィラン社オトゥイユ工房で制作された、「セルヴィス・パリジャン」、「動物セット」の2つの硬質磁器皿のセットにおける日本的モティーフの借用と、ブラックモンのジャポニスムの展開について考察する。

■2005年度ジャポニスム学会第2回例会
4月22日、第2回例回として、東京国立近代美術館において「ゴッホ展-孤高の画家の原風景」見学会が開かれました。会員は夕刻5時に学士会館分館の一室に集合。馬渕理事長を中心とした、予備知識をかねたフリートーキングの後、歩いて5分ほどのところにある東京国立近代美術館へ移動して、開催中のゴッホ展を見学しました。ゴッホだけでなく、同時代の画家たちの作品、彼が参照した浮世絵版画なども並び、ゴッホの生きた時代やジャポニスムの動向がうかがえる展示内容でした。

■ジャポニスム学会賞候補作品の推薦規定に変更
本年度からジャポニスム学会賞の候補となる書籍、論文などの推薦(自薦も含む)締め切り日を、従来より1ヶ月延長して5月末日までとし、対象作品は前年の1月1日より本年3月30日までの1年3ヶ月の間に出版されたものとする旨、3月5日の総会において告知されました。

■2005年度ジャポニスム学会総会
ジャポニスム学会総会が、2005年3月5日(土)東京本郷の学士会館にて開催されました。東京大学赤門脇の学士会館6号室にて、ジャポニスム学会2005年度総会が行われ、2004年度事業報告、2004年度決算報告、監査報告その後2005年度事業計画案の提起と予算案が審議にかけられ、いづれも満場一致で承認さました。
さらに2005-2006年の役員改選について、旧理事会から芳賀徹、坂本満、小林利延、三浦篤、宮崎克己、遠藤望の諸氏が理事の任をしりぞき、瀬木慎一、山口静一、佐藤洋子、小山ブリジット、新畑泰秀、橋本順光の諸氏が新理事となる理事交代案が審議され、これも満場一致の承認をえました。
総会の後、2004年度ジャポニスム学会賞を授賞した小野文子氏による講演「Japonism in Britain とその後の研究」が行われました。

講演:小野文子氏(信州大学教育学部芸術教育講座講師、グラスゴー大学ホイスラー研究センター客員研究員)「Japonisme in Britain とその後の研究」
内容:Japonisme in Britainを2003年3月に出版してから2年が経った。その後の研究で、J.McN.ホイスラーがロンドンで金子堅太郎と会食し、日本美術について語ったこと(本書の第2章に関連)、1878-9年にグラスゴーと日本の間で行われた物品交換は、日本が工業技術をグラスゴーから学ぶために、工芸品を贈って物々交換を申し入れたといわれてきたが、実は物品交換を申し込んだのはグラスゴーのほうであったこと(本書の第4章に関連)、が分かった。出版についてのエピソードと共に、これらの2点について発表し、記念講演とした。(ホームページ担当)