ジャポニスム学会の毎年の活動は、年1回の総会(講演会併設)、年数回の例会と見学会、年1回の会報を中心としています。以下に2006年のニュースと活動記録を掲載します。なお数年に一度、シンポジウムや連続講演会の開催、書籍の出版など特別の催しを行っております。


 

2006年12月16日(土)東京大学本郷キャンパスにおいて、第4回例回ならびにジャポニスム学会の授賞式が行われました。
発表1:
林 久美子(東京大学大学院)「フェリクス・レガメー: 第二回来日時(1899年)の足跡―日仏文化交渉史の試み」
内容:本発表では、フェリックス・レガメーの第二回来日時(1899年)の足跡に焦点を当てる。今回、新聞等の新資料の発見によって彼の来日時の行動や、日本の美術界に対する見解、様々な美術家たちとの実際の交流の様子などが明らかとなってきた。また、彼の図画教育視学官としての報告書『東京の学校におけるデッサンとその教育』を取り上げる。本書は、「毛筆画・鉛筆画論争」に揺れ動いていた明治期の図画教育の実態を、外部の視点から捉えたものとして貴重である。さらに、「普通教育としての図画」という意味では、日本と同様、フランスも未だ揺籃期にあり、フランスも日本から情報を得ようとしていたことなども新たに指摘できると考える。

発表2:
彬子女王(オックスフォード大学大学院)「標本から美術へ―19世紀の日本美術蒐集: シーボルト、アンダーソン、フェノロサ」
内容:19世紀は、西洋人による日本絵画への意識が変化した時代である。本発表では、シーボルト、アンダーソン、フェノロサと言う、当時を代表する日本絵画のコレクターたちのコレクションを通して、その意識の変遷を検討した。シーボルトの時代は「日本」と言う国を理解するための標本に過ぎなかった日本絵画が、19世紀後半のフェノロサの時代に至り、「美術」として認識されるようになる。その丁度中間に位置したアンダーソンは、その二者をつなぐ橋渡しの役割を果たしたのである。

両氏による充実した発表と質疑応答の後、第27回ジャポニスム学会の授賞式が行われ、著書『バーナード・リーチの生涯と芸術』(ミネルヴァ書房、2006年3月10日出版)で本年度の授賞者となった鈴木禎宏氏に学会から賞状と賞金が授与された。

2006年11月18日(土)、東京国立博物館にて2006年年度3回例回を開催いたしました。
第3回例会として東京国立博物館平成館における「没後100年林忠正コレクション ポール・ルヌアール展」の見学会が行われました。林忠正の縁者である木々康子氏によって3時まで定例講演会が大講堂で行われた後、ジャポニスム学会例会として小講堂において、林忠正が200枚近くも収集したポール・ルヌアールの素描について、隠岐由紀子 氏がこの「知られざる報道画家」の才能と作品の魅力を30分ほど紹介。その後、会員は平成館企画展示室で同展を見学しました。

第27回(2006年度)ジャポニスム学会賞決定と授賞式のお知らせ。
ジャポニスム学会は、第27回(2006年度)ジャポニスム学会賞を下記の業績に対して贈ることに決定いたしました。

授賞者:鈴木禎宏氏
対象業績:著作『バーナード・リーチの生涯と芸術』
ミネルヴァ書房、2006年3月10日出版

*授賞者略歴
1999年東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻
(比較文学比較文化コース)博士課程単位取得退学
2002年博士号(学術)取得(東京大学)_
現在、お茶の水女子大学生活科学部助教授

*授賞理由____ ____ ____ ____ ____ ____ ____ ____
今回の授賞作となった鈴木禎宏氏の著作は、ポスト・ジャポニスムの時代に東洋と西洋を陶芸という分野で融合させようとしたバーナード・リーチの「東と西の結婚」観を取り上げている。リーチは、日本に住み、その芸術を熟知することによって、「結婚」という形での解決法を生み出そうとした。著者は、そこに見られる中世への復古や遠い東洋へのロマン主義的感性、あるいはアーツ・アンド・クラフツ的ユートピアと並んで、西洋を男性性、東洋を女性性とみなすジェンダー観をも指摘しつつ、その仕事をひとつの先駆的方法と評価している。その点が独創的であり、様々な角度から精緻に論考が展開されている。鈴木氏は、多くの研究領域の狭間と言えるような領域を上手くまとめて、厚みのあるリーチ像を現前させた。広く日本の美術史およびジャポニスム研究の水準を上げた著作が生み出されたことを、心より喜びたい。

*授賞式
12 月16日夕刻より、東京大学・本郷キャンパス 山上会館にて行いました。

2006年7月15日(土)、箱根ラリック美術館において2006年度ジャポニスム学会第2回例会を開催しました。
2005年3月に開館したばかりの箱根ラリック美術館において、ジャポニスム学会例会が開催されました。午前中には学芸主任の橋本公氏の解説を交えて見学会があり、若くして宝飾細工師として活躍し、ガラス工芸への華麗な転進を遂げたルネ・ラリック(1860-1945)の生涯を紹介する常設展と、企画展「舞い踊る文様」(2006年10月22日まで)を見学しました。企画展では、江戸時代からの伝統手法を受け継ぐ京唐紙と、一般公開が始まった湯島の旧岩崎邸の壁紙にも採用されている金唐紙が、ラリックの作品とともに展示されています。 午後からは「ラリックとジャポニスム」と題して、橋本公氏の講演が行われました。豊富な図版を使ってラリックの全体像をたどりながら、フィリップ・ビュルティやシャルル・アヴィランドとも親戚関係にあったという家系の問題や、ビングが編纂した『芸術の日本』との関わりなど、多角的視点から「ルネ・ラリックとジャポニスム」のテーマが論じられました。発表後には、会員諸氏を交えて活発な質疑応答が行われました。(箱根ラリック美術館企画展:http://www.lalique-museum.com/kikakuten.html)。閉館間際には、美術館内に設置されているオリエント急行を見学いたしました。このサロン・カーは、普段は予約制カフェ「ル・トラン」として、一般に公開されております。(http://www.lalique-museum.com/letrain.html)

講演:橋本 公氏(箱根ラリック美術館)「ラリックにおけるジャポニスムの影響?ビュルティ・アヴィランドを中心に」
内容:「芸術作品でありながらも”普段使い”ができるもの」―生活の中における美を追求した点で、ルネ・ラリックが貫いた基本制作姿勢は、ある意味、ジャポニスム的であった。
またラリックは、娘シュザンヌが写真家ポール・アヴィランドに嫁いだことで、リモージュの名門アヴィランド家と親戚関係になった。ポールの父シャルルはアヴィランドの経営者であり、磁器工房「オートゥイユ・スタジオ」を設立しジャポニスム的な作品を多く残した。娘の結婚をきっかけに、ラリックの制作環境はよりジャポニスムの影響下に置かれるようになったのである。草分けのジャポニザン、フィリップ・ビュルティとシャルル・アヴィランドの功績を検証し、ラリックとの接点をたどった。

■前会長大島清次先生のご論考が日本文化センターで公開されています。
大島清次先生の著作「知の墓標―言葉について」(未刊行)が、 京都にある日本文化センターで公開されています。 「ジャポニスム研究は日本研究である」との信念に基づく先生の ご論文に興味のある方は、日本文化センター(http://www.nichibun.ac.jp/)へ アクセスしてみてください。

■2006年3月18日(土)、学士会館分館において2006年度総会ならびに学会賞記念講演会が行われました
ジャポニスム学会総会が2006年3月18日(土)学士会館分館にて開催されました。総会では、2005年度の活動報告があり、収支決算が承認されました。そして 2006年度の活動予定が公表され、予算案が審議の上、承認されました。 さらに、規約の一部改正となる準会員制度が提案され、審議の結果、会費5000円 とすることで総会決議されました。総会の後、第26回ジャポニスム学会賞を授賞した羽田美也子氏による講演「20世紀アメリカのジャポニズム-小説と映像を中心に」が行われました。

講演:羽田美也子氏「20世紀アメリカのジャポニズム―小説と映像を中心にー」
内容:19世紀になって世界に門戸を開いた日本は、以後「文明」に対する西欧の考えに様々な挑戦をつきつけることになる。彼らの世界観を揺るがす日本に対する恐れと不安、その一方で「ムスメの住む夢の国」への憧れも常にもち続けられる。20世紀アメリカにおいて出版されたジャポニズム小説には、19世紀的特質は失われたとはいうものの、依然としてこのふたつの相反する感情が引き継がれている。映画になると、更にピクチャレスクにデフォルメされた形で表現されている。ムスメ賛美と、非文明人である黄色人種への嫌悪感というアンビヴァレントな感情が何の疑問もなく同居することができるということを、我々は19世紀後半から20世紀初頭のアメリカにおける熱狂的な日本熱と、平行しておこる排日の歴史のなかにみることができる。ムスメ賛美の長い歴史はファンタジーの国「ニッポン」幻想をつくりあげ、現実の日本と混同されながら現在に至っている.

■2006年2月25日(土)、神奈川県立近代美術館葉山との共催で、2006年度ジャポニスム学会第1回例会を開催しました
神奈川県立近代美術館葉山との共催により第一回例会が開催され、「パウラ・モーダーゾーン=ベッカー」展の見学と、以下の発表が行われました。
発表1:水沢 勉(近代美術館企画課長)「展覧会の実現にいたるまで」
発表2:佐藤洋子(ジャポニスム学会理事)「パウラ・モーダーゾーン=ベッカーにおける浮世絵の触発」
発表の後、20世紀転換期のヨーロッパ美術状況及び美術教育について、質疑応答が行われました。